こんにちは。出口正子です。
私は、私自身を自由にしてくれる声を求めて、歌い続けています。「ベルカント」という発声を学ぶためにイタリアに渡り、約 30 年間を過ごしたイタリアでの研鑽と経験は、私にかけがえのない声の命を与えてくれました。
今、私は、その声の命をどこまで生き生きと輝かせることができるか、という自分への挑戦とも言えるテーマに取り組んでいます。眼で見ることも、手で触れることもできない体の中の感覚と向き合い、「私の声」を求めて暗闇の中を歩いていると、時折、ふと、それを感じる瞬間があります。
「私の中の私」が、音を立てて 動くような感覚。そんな感覚に出会えた時、つくづく歌に出会えて良かった! と、喜びと幸せでいっぱいになります。目指すのは、「歌っているのに、歌っていることを忘れる」境地。それが、私にとっての、究極のベルカントのユートピアです。その境地には、まだたどり着けてはいませんが、みな様に、私の歌う喜びを、少しでも感じていただけたら幸せです。
そして、音楽の素晴らしさを、多くの方と分かち合い、今日よりも明日が、少しでも幸せで豊かな心に満たされることを切に願っています。
出口正子
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『いけばな龍生展 植物の貌2021』
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昨年、クリスマスイルミネーションが街を彩り始めた頃、「いけばな龍生展 植物の貌2021」を観る為、私は渋谷ストリームホールを初めて訪れた。
ストリームホールの高い天井と広々とした空間に佇みながら、植物の無垢なエネルギーと、それに向き合う人々のひたむきなエネルギーの交歓が醸し出す、確かに日常とは違う空気を、私は楽しんだ。
母に勧められ、初めて「龍生展」を訪れたのは、学生時代のことであった。上野「松坂屋」の会場に足を踏み入れた時に感じた驚きと戸惑いの感情は、今も忘れることができない。
それまで私は、「いけばな」とは、お花器の中に花がひとつの造形を成して生けられるというイメージを持っていた。しかし、あの日観た「龍生展」は、何ものにもとらわれない、まるで「自由」そのものが表現されているかのような作品が広い会場を埋め尽くし、それまで抱いていた「いけばな」に対する私のイメージが、音をたてて崩れて行く感覚を味わった。
「人間には、こうでなければならないという決まりはない。自分の心や魂を自由に膨らませ、地球の外までも無限に広がって良いのだ。」
昨年開催された「いけばな龍生展 植物の貌2021」は、私に、そんな想いを掻き立たせてくれた。
「それまでの視点から離れ、自分の目で見るということ。植物の持つ表情の豊かさを発見する瞬間、また一つの新しいいけばなへの道が開かれる。」
(いけばな龍生派公式ホームページコンセプト「植物の貌」より抜粋)
「龍生派」を通して、いけばなという伝統芸術に触れ、130余年の歴史の重みを目の前にする時、畏れの念が自然と湧き起こり、しばしこうべを垂れるのである。
「いけばな龍生展 植物の貌2021」リーフレット(表)
「いけばな龍生展 植物の貌2021」リーフレット(裏)会場マップ
「いけばな 龍生派 公式ホームページ」
2022年2月14日
親友のピアニスト、渡辺まどかさんと、作曲家の佐藤宏さん、そして歌姫鈴木絵麻さんが企画、出演するコンサートに出かけた。
会場となった教会のステンドグラス越しに差し込む七色の光が、時間の移ろいと共に変化するさまは、まるでモネの絵画のようだ。
まどかさんの奏でるサウルハープや、絵麻さんのケルトの笛、ティンホイッスルの演奏も、とても珍しく楽しかった。
まどかさんによるピアノソロ「A列車で行こう」では、普段しとやかなまどかさんはどこへやら!?彼女は思い切りはじけていた。
宏さんの曲は、優しさや、つつましいことの尊さをいつも教えてくれる。(でも歌うの難しい!)
絵麻さんは手話を交えて「瑠璃色の地球」を歌ってくれた。客席から、習いたての手話で彼女の演奏に参加した。
絵麻さんの世界は、どこまでもチャーミングだ。彼女は、ステンドグラスが映す七色の光と調和して、やがて、聴く人の心を温かく包んでくれた。
みんなの顔がほころび、輝いた。
『夢のそばで』 コンサートチラシ
『夢のそばで』 出演者プロフィール
『夢のそばで』 コンサート写真
2021年12月10日
『変容の時』
「有名かどうかなんていう価値観は、なんだか小さいものに感じる。」
これは、私が尊敬してやまない吉永小百合さんが、あるCMの中で発した言葉である。
そんな言葉に共感を覚えていたその頃、私は「地の時代から風の時代へ」という話題をよく見聞きするようになっていた。
昨年12月、丁度冬至の頃のことである。木星と土星が、およそ250年振りにひとつの星座で重なり合い(グレートコンジャクションと言うそうで…)、
それを契機に、地球の価値観が根底からくつがえるというものだった。このとてつもないビジョンに、私は強い衝撃を覚え、そして興味を魅かれ、この一年、そのニュースを追いかけるようになっていた。
250年も続いたという「地の時代」では、権力、地位、名誉、財産、学歴などといった、目に見えるものが人間の価値の尺度となっていたが、これからは、目には見えない精神的なものに、より価値がある「風の時代」になるというのである。
ピラミッド構造により、人を上下関係で区別する社会から、よりフラットな人間関係が構築される社会になる。そしてしがらみにとらわれず、自由で軽やかに自分の道を選択しても良い、そんな世の中になるというのだ。
つまり「豊かさ」の概念が根本から変わるのである。
その様相は、縄文時代にも例えられ、「縄文回帰」という言葉も散見される一年でもあった。
縄文時代
・ゆったりスロー
・横社会
・所有の概念がない
・物質的価値観がない etc
また今年は偶然にも、「縄文遺跡世界遺産登録」というニュースが重なった年でもあった。
この地球もまた宇宙の一部であるという事実に思いを馳せる。
人間の意識の変容が、宇宙の意志と深く関わるとするならば、それは何という神秘なのだろうか。
風の時代へ〜その変容のプロセスをこれからも軽やかに楽しみたい。
2021年12月10日
「この道」
~第107回ピノキオコンサート 『大人とこどもの音(おん)・学(がく)・会(かい)』出演の想い出~
豊後高田市立戴星(たいせい)学園(小中一貫校)を訪れる為、私は別府から1時間ほど車に揺られ、小さな旅をしました。
日差しの降りそそぐ秋晴れの空は青く澄みわたり、目の前に広がる山々のたたずまいは、穏やかでありながら揺るぎがなく、日頃コンクリートに囲まれて生活する私は、その美しさにすっかり魅了されてしまいました。これからお会いする豊後高田市の子どもたちが羨ましくなりました。
ピノキオコンサートは、伊藤京子さんのピアノ独奏による「革命」(ショパン)で始まりました。
その後、伊藤さんに紹介され、私はグランドピアノの前に立ちました。少しずつ顔を上げてみると、小学1年生と思われる小さな女の子たちがお行儀良く座っている姿がまず目に飛び込んできました。
「何て可愛いらしい‼︎」と心の中で感嘆しながら「カディスの娘たち」を歌い始めたことを覚えています。
プログラム全曲を歌い終わった時、伊藤京子さんから思いもかけず、「30年に及ぶイタリア生活のお話をしてください」と、突然マイクを向けられました。
「ええっ?そんな…急に聞かれても…」と困惑しながら、考えもまとまらないままに、『これまで西洋音楽のあるのが当たり前のような環境で育ってきた私は、イタリアに渡り、イタリア人の友人たちと接する中で、自分の母国、日本のことを全くと言って良いほど知らないことに初めて気づきました。
友人たちは、"日本や東洋の思想、文化は素晴らしい!"と私に語り、ヘルマン・ヘッセの「シッダールタ」やヘリゲル(5年間日本で弓の修行をしたドイツ人)の「弓と禅」という本を読むよう勧めてくれたんです… 』などと話し始めました。
その日のピノキオコンサート後、私は大変反省しました。
私の目の前には小学1年生の生徒さんたちがいることを、その時すっかり忘れていたからです。
「いったい何のことやら…?」と、きっと思ったことでしょう。
帰り際に、数名の高学年とおぼしき男子生徒さんたちが、玄関先まで駆け寄って見送ってくださったことが、ちょっとだけ落ち込んだ私の心を温かくしてくれました。
伊藤京子さんは、2度に渡るピノキオコンサートの中で、生徒さんたちに貴重なお話を沢山しておられました。
そのお話についての感想文を、大分大学附属中学校2年生のみなさんがお寄せになったので、ほんの一部ですが紹介させて頂きます。
生徒の声(感想)〈抜粋〉
〈今の大人や未来の私たちについてもお話ししてくだいました。ものすごくためになりました。このコンサートをきっかけに自分のこれからについて考えていきたいと思いました。〉
〈音楽を通して世界の情勢やいろいろ人生の中で大切な事を学べるというところからやっぱり音楽とはすごい学問(?)なのだなぁと思いました。〉
〈今の時代は本当に便利な事だらけだけど思いを言葉で伝える、そして耳で聞くことが私達人間にしかできないことで、それがどれだけ大切なのかをよく学びました。そのうえで、今後もITが発達していく中で何を守っていき、何をおさえていかなければならないのかを歌からそして演説からすごく学ぶことができました。〉
〈技術が発展していく中で何をずっと持ち続けなければならないのか、このことを教えてくださって本当にありがとうございました。本当に貴重な時間を私たちに費やしていただきありがとうございました。〉
伊藤さんのお話の中では、「私たちの未来を奪うな」と、温暖化防止を訴える16歳のスウェーデン人、グレタ・トゥーンベルさんについても触れられていました。
折しも、東北、中部、関東地方を襲った台風15号、19号の爪跡の残る時期に、このピノキオコンサートは開催されました。(そして、今も尚その爪跡は残されたままです)
戴星学園に向かう車窓から眺めた自然の美しさに想いを馳せ、地球上の自然がこれ以上破壊されることがないよう、若い人たちの力をこれからも応援して行きたいと、私は改めて強く思いました。
私が「この道」を歌ったのは、今回が初めてでした。
「こんなに美しい曲を今までどうして歌わなかったのだろう」と思いました。
生徒さんたちと一緒にアンコールで歌ったことも、幸せな思い出です。
「この道」
作詞:北原白秋
作曲:山田耕筰
この道はいつかきた道
ああ そうだよ
あかしやの花が咲いてる
あの丘はいつか見た丘
ああ そうだよ
ほら 白い時計台だよ
この道はいつかきた道
ああ そうだよ
お母さまと馬車で行ったよ
あの雲もいつか見た雲
ああ そうだよ
山査子(さんざし)の枝も垂れてる
2019年12月
『続けること』
私が『ランメルモールのルチア』を最後に歌ったのは、およそ10年程前の2004年、夏のことだった。
同じ年の早春、父が急逝し、その5日後に母が病に倒れた。病床の母の姿を見た時、「もう歌は辞めて、母の為に尽くそう」と心に決めた。
それから一ヶ月が経過した頃のある日、後遺症により言葉を失った母が、一度だけ、「うた、やめないで」と言ったことがあった。「プップッ」と何度も息を吐いて、やっとのことで発せられた一言だった。
母のこの一言に背中を押されるようにして、その年の『ルチア』の舞台に立った。
発語はおろか、身動きすることもままならない母の存在が、この10余年の間、歌い続ける私の大きな支えとなってくれた。
週3日、母の傍らで過ごし、あとの3日は自宅にこもり、「母の許まで届け!」と、夢中で発声練習をする日々・・・。
「ひとつのことに、納得するまで取り組みなさい」
これは亡き父の教えだった。
だから私は、納得できるまで勉強を続けなければいけないと思っている。
作:出口龍光(龍生派)※画像をクリックすると拡大します。
大都会の『混沌』という渦の中に立ちすくみ、ふと、自分の『軸』 が揺らぎそうになった時、何とも言えない寂寥感と孤独におそわれることがある。
それでも、あの水平線の彼方にきっと横たわっているに違いない、未だ見ぬ『神秘』に導かれるようにして『歌』と向き合う時、私は再び立ち上がることができるのである。
「真実は皮膜の間(かん)にある」
近松門左衛門のこの言葉に、103歳の現役美術家、篠田桃紅さんのご著書を通じて、初めて接した。
「真実というものは、究極は、伝えうるものではない。」
「真実は想像のなかにある。だから人は、真実を探し続けているのかもしれません。」
(篠田桃紅著「一〇三歳になってわかったこと 人生は一人でも面白い」より)
私は『真実』を探し続けたいと思う。
今夏、『椿姫』などのオペラで何度も共演し、また友人でもあった、テノール歌手の永澤三郎さんが天国に旅立った。
愚直なまでに純粋無垢な彼の魂を、ずっと心に刻んでおきたいと思う。
※ 掲載の画像は、2点とも私の母の生花作品です。本文執筆中に、その存在のイメージがとても尊く感じられ、私を応援してくれているように感じたので、掲載いたしました。よろしければ、ご覧下さい。
「大王松」作:出口龍光(龍生派)※画像をクリックすると拡大します。
2015年10月27日
「終止線」(ゴール)
「ゴール」。人は誰しも、「ゴール」という目標を背負って生きている存在なのではないだろうか。人生を音楽に例えたとすると、そこには、きっと様々な楽章があり、その最終楽章の楽譜の終止線がゴール、ということになるのだろう。そして、その楽譜には、音符も、音楽記号も、何も描かれてはいない。「時間」という五線譜があるだけである。私は、その五線譜に、日々音符を描き、そのリアリティー(実感)を声で確かめながら、まだ見ぬ終止線のありかを、不確かな音律の彼方に探し求めている自分を、ふと感じる時がある。これは、そんな感覚を、強く感じた時のエピソードである。
私は、母の病気平癒祈願のため、3年前から、年に1度の伊勢神宮詣でをしているのだが、2013年、式年遷宮の年の4月、初めて参拝した時のことである。
伊勢神宮の鳥居に到着する前から、すでに「空気」は変わっていた。鳥居をくぐり、深閑とする杉木立の参道を歩いていると、急に、「俗世にいる自分」を感じ、神聖な時の中に引き込まれていくような感覚とともに、「雑念」が少しずつ離れていくのを感じた。
その後、伊勢に来たら必ず行こうと思っていた場所、二見浦に行き、海辺を散策した。「夫婦岩」にかかる縄は、「結界」の縄(聖なる世界と俗世との境界)であるということも、その時に初めて知った。
ちょうど、引き潮が満ち潮に変わる頃で、その満ちゆく「潮景色」の素敵さと波音の余韻に、いつまでも浸っていたい気持ちに駆られた。人気のない浜辺で久しぶりに見る海。かすかに引かれた水平線の向こうは見えない未知の世界、という事実に想像が及ぶと、それまでの穏やで明媚な景色が一転、恐ろしさになって迫ってきた。そして、あの水平線には、永遠にたどり着けないのである。
到達点(ゴール)の見えないものと向き合うことは、これほど恐ろしいことなのだ、ということに気付かされ、ハッとした瞬間だった。私にとっての「ゴール」とは何だろう?それはどこにあるのだろうか?ゆっくりと、黄金色に輝きはじめた海原の彼方を見つめながら、その答えを探した。
「あの時」から、約2年と少しの月日が過ぎた。その答えは、今でもはっきりとはわからない。私は、私にとっての「終止線」(ゴール)を探して、今日もまた、「歌」に向かうのである。叶うことならば、その終止線の先まで、宇宙に消えゆく光のように、生きた響きを届けたい、と、願うばかりである。
2015年8月19日
「神居古潭の思い出」
この夏、北海道の神居古潭を訪れた。夢殿観音でバスを降り、神居古潭まで歩いた。
バスがトンネルを抜けると、それまで広大でのどかに見えた山並みの風景が一変、深く色濃い緑をたたえ、どこか張りつめたようにさえ見える山々の佇まいが、眼前一杯に広がった。そこが、神居古潭だった。
夢殿観音に手を合わせてから、石狩川を望む吊り橋の方へ歩き始めた。
すると突然、真っ白な蝶がおよそ10匹ずつの群れをなして、ダンスでもするかのように、羽を忙しくパタパタと動かして飛び回る光景に出くわした。しかも、その蝶の「群舞」は、1つ2つ…5つ6つ…9つ10…と、いくつものグループをつくりながら、あたかも私を道案内するかのように続いた。一度にこんなに多くの蝶を見たのは、生まれて初めてだった。
都会に暮らしながら、万が一にも一匹の蝶とすれ違うようなことがあれば、その日一日はハッピーな日となる。いつの頃からか、そんなことをずっと信じてきた私にとって、この目の前の光景は、まるで「奇跡」を見ているようだった。
「今私は、天使に出逢っているのだ!」
そんな確信にも似た逸る思いで、心がいっぱいになった。
ふと我に返り、遥か向こうの方に目をやると、周囲の山々を抱擁するかのようにそびえ立つ大雪山が、「私は、ただここに居るだけだよ」と語りかけている。遥か向こうの、またその向こうまで、悠々と広がっていく山並みは、私が憧れる「自由な魂」の姿そのものだ。
それを渇望せずにはいられなくなった。
あるがままに…
そんなインスピレーションを、「神居古潭」は私にくれた。
2014年9月17日
満開の桜の向こうの青空のために
先日、NHK Eテレ「こころの時代」で、内科医の小笠原望先生が、「命の仕舞い」というテーマでお話しになりました。「医療もまた感性である。自然を敬い、夕焼けに涙する、そんな感性のやわらかさが医師にも求められる。それが本当の豊かさである。」 「ひとりひとりの力の重さは計り知れない。そのひとりひとりと丁寧に向き合える医者になりたい。」と話しておられました。
母の介護を通じて、これまで様々な医師との出会いのあった私にとり、とても胸打たれるお話でした。
4月26日(土)、私は、「チャリティーコンサート」(会場:三郷市文化会館)に出演いたします。(詳細はコチラ)このコンサートは、私がかつて国立音大で副科のピアノを 4 年間師事しておりました恩師の塩澤美智子先生とのデュオコンサートで、「放射能から子どもたちを守ろう」というスローガンの下、開催されます。 (塩澤先生の弟さんである、医師の大場敏明先生もまた、ひとりひとりの患者さんの心に寄り添い、さらにより良い医療を目指して活動を続けられています。)
医療と音楽、分野は違いますが、音楽もまた、人の心を支える大きな力を持っています。音楽を通じて人の心に寄り添っていきたい、という私の思いは、益々強くなっています。ひとりの演奏者として、子どもたちが、一 点の曇りもないどこまでも澄み渡る青空の下で、「思い切り遊ぶことのできる未来」が訪れるように、その願いをこめて歌いたい... 満開の桜の向こうに広がる青空を見て、その思いを新たにしています。
2014年4月4日
♪出口正子公式ホームページの「幕」(エンターページ)が完成しました!
この記事を読んでいただいているみな様は、すでに「幕」を開けて入っていただいているみな様ですね! お立ち寄りいただき、ありがとうございます(^-^) エンターページで、何かお気付きになったことはありますか? そう、CLICK! にマウスオンすると、文字の影が五線譜に映り、音が鳴るんです。ただそれだけでは、とりたてて話題にするほど特別なことではありませんが、実は、深~い意味と、制作秘話があるんです。そのエピソードについて、お話しします。 あ、その前に、お使いのブラウザによっては、音が出ない場合もあるようなので、お聞きになれなかった方は、 コチラのリンクでご試聴ください。
この音は、ピアノの短い 1 和音アルペジオですが、その中に、私の声楽人生ととてもご縁の深い「ある音」が 隠れています。そして、エンターページの画像には、その音が音符として写っています。音、楽譜、花(fiore) と影... 私の内面が投影されたデザインになっていて、「CLICK!」で「出口正子」の心に触れていただくとサイトの幕が開く、という、実は、とてもストーリー性のあるデザインになっています。
本サイト「MESSAGE」ページに掲載の<出口正子・青柳明ジョイントコンサート「母に贈る歌」>の折、石川真昭(IRISM)さんの楽曲「花華~<春>~」を初演させていただきましたが、その楽曲の中でも、ひときわ美しい 8 小節の前奏の中に、「時を超えて、思い出の楽譜に再会!」の記事(下記)でお話した、あの E♭を 偶然にも発見しました。その音が隠されている 1 和音アルペジオを私が自ら弾き、さらに、私が好きな fiore (花)にちなんだ画像を音と重ね合わせる、という、とても斬新なアイデアのご提案を、今回サイトリニューアルをお願いした SORA SDS さんからいただき、直ちにその「1 音」の録音が開始されました。
いざ、録音が開始されると、プロデューサー新井敦夫さんの耳は厳しく、たった 1 音(和音アルペジオ)の為の録音は、長時間に及びました。かつての、イタリアでのスカットリーニ先生とのレッスンを思い出しました。 「上手く弾こう」という欲、意思が働くと上手くいかず、ダメ出し続出(笑)。ふと、無意識に弾いた時、「あっ、今の良かった!」と新井さんも私も同時に叫んでいました。
これが禅で言う「無心」の境地というものかしら? ほんの一瞬でも、それを体感できた喜び...。 本業の「うた」で、それを体感したいという夢は、ますますふくらみます。
かくして、エンターページは、フォトアーティスト雨樹一期さんの素敵な撮りおろし作品をまとい、私「出口正子」の幕は完成いたしました。
これからも、どうぞ、出口正子を CLICK!してご訪問くださいませ。
ENTERページへ
2014年2月21日
♪時を超えて、思い出の楽譜に再会!
音楽を学んでいると、声楽であれ、器楽であれ、必ず克服するのに苦労する音(楽譜上では音符と記号)に出 会います。後で振り返ってみると、苦しんだ音が刻まれた楽譜ほど、思い出深い特別な存在になりませんか?私 の場合は、イタリアでついたひとりの先生が、あるアリアの 4 小節の内の 1 音の私の発声が気に入らず、その 1 音だけを 1 年間、週 3 回繰り返し練習したとても苦しい思い出があります。その 1 音とは、プッチーニのオペラ「ラ・ボエーム」の第3幕にある E♭ の音なのですが、その楽譜のことをしばらく忘れていました。 昨年の 12 月、美容・エステティック専門誌「クレアボー」の取材を受け、そのエピソードのことをお話してか らずっと気になって探したところ、やっとその楽譜に再会することができました! 本当に感激しました(*゚▽゚*) 長い時を経て、私の中に眠っていた私と再会したような、そんな不思議な感覚♪ 同時に、音楽の神様から、「初心忘るべからず」という戒めを授かったような、そんなことも感じました。
私にとって音楽は、喜びも、苦しみも、幸せも、戒めも与えてくれる、生きる支えです。今、こうして歌えることに感謝して、今日も、新しい楽譜に向かいます。
♪声楽の心、エステティックに通ず?
美容・エステティック専門誌「クレアボー」77 号(フレグランスジャーナル社刊、1 月 30 日発売号)の「ア ート&ビューティー 美の瞬間」にて、クローズアップ・アーティストとして出口正子が紹介されました。
「エステティック」の語源は、「美を感じる心、審美」なのだそうです。声楽という、美容とは異分野で、「ベ ルカント(美しい声)」を追求している私にとって、どこか根っこの部分にある不思議な共通点を感じました。
業界専門誌なので、一般書店に並んでいる雑誌ではありませんが、私の活動や思いを、とても丁寧にご紹介いただいているので、是非、ご一読ください。(当ホームページ「Archive」のメディア掲載欄に、記事を一部抜粋掲載させていただきました。)
詳細参照 URL “creabeaux”:
http://www.fragrance-j.co.jp/magazine/creabeaux.html
♪別府でのコンサートに向けて「アニマート!」
2 月 23 日(日)、大分県別府市の別府国際コンベンションセンター(ビーコンプラザ)・フィルハーモニアホ ールで開催される「ハーモニアス別府 20 周年記念 第 20 回 ニューイヤーコンサート」に出口正子が出演します。
このコンサートは、私が学生の頃からの友人で、別府アルゲリッチ音楽祭の総合プロデューサーを務めていらっしゃる素晴らしいピアニスト、伊藤京子さんとのご縁がつなぐ、記念すべき 20 回目のコンサートです。今回は、来場のみな様に、演奏楽曲をできるだけわかりやすく解説して音楽に親しんでいただく工夫を凝らしています。また、曲目では、親しみのあるナポリ民謡から、オペラで「コロラトゥーラ」と言われる難易度の高いアリアまで、バラエティー豊かな曲目で楽しんでいただくコンサートを目指しています。湯けむりの香りとともに文化が薫るまち、別府に育まれてきたこのコンサートの二十歳の誕生日を、是非、みな様のあたたかいご声援でお迎えください。